愛という試練 マイナスのナルシスの告白(中島義道)ISBN:4314009276

愛に溢れる翔兄ィ語録の隣にこんな本を並べてみる。

愛することが自然にできない男の苦しみは、愛という関係を他人と築けない苦しみであり、愛されてもそれに応じられない苦しみである。その底には、自己愛というやりきれない怪物が潜んでいる。
ーー
彼は妻子でさえ自己を愛するように愛することはできない。たまたま誰かを好きになったとしても、その相手でさえ自分を愛するように愛することはできない。巨大な自己愛が全景に迫り出し、いかなる他人に対する愛も背景に退いてゆく。しかも、そのことを自覚し、悩み、自責の念をもちながら、絶対に改善できないのだ。

さて、最近たてつづけに
『自分の世界を妻や家庭に理解されず、孤立を感じる男が、息子からの無償の愛を受けて戸惑う』
という話にぐっときた。

ひとつは、ビッグコミック誌に掲載された、山上たつひこによる『がきデカ』のリバイバル、『中春こまわりくん』。

こまわりくんは、マンガの中で実際に年をとって、いまや38歳、中堅電器メーカに勤めるサラリーマンで、妻と息子と三人暮らし。すっかり普通の中年となったこまわりくんだのに、酒の席では周りにおだてられ、『死刑!』とか昔のネタをやらされては(自分もまんざらでもなかったりするので)ため息をつく。
家で息子に『犬式算数と猫式国語』を教えるのが、妻は大層気に入らない。
『わしの世界があの女にはわからないのだ。お父さんは不幸だ』
と、妻が出て行ったあと、息子に愚痴るこまわり。
だが妻に呼び出され、
『お父さんをずっと好きでいられると思う?』
と問われた息子は
『ずっと好きだよ』
と答える。

この場面、ジョン・カサヴェテスの『ラブ・ストリームス』を思い浮かべてしまった。

自由奔放に生きる中年作家のもとへ、ある日かつての妻がやってきて、息子をあずけて帰る。作家は家にいた女たちを追い出し、息子をつれてラスベガスに旅立つ。うきうき出かけた作家だったが、しかしラスベガスにつくや息子をホテルの部屋に残し、ひとりでカジノにでかけて、一晩帰ってこない。
女ともめ、不機嫌になった作家は、寂しい思いをした息子にあたりながら、妻のもとに送り届ける。
するとそこには、妻と再婚した男が待っており、よくも息子をひどい目にあわせたなと、作家をぶちのめす。
路上でうずくまる作家のもとに、息子が駆け寄ってくる。
『お父さん、愛してるよ!』

・・・号泣

身勝手な自己愛に対する自己嫌悪を、表面上は取り繕い、その反動でつねに躁状態で、刹那的な対人関係に溺れる男の心を、息子たちの無償の愛はあたかも、いかなる大罪を犯した罪人の上にも注がれる恩寵のごとく照らしだし、そして男はいたたまれなくなるのだ。

ていうわけで、『ゼブラーマン』も、私はオタクのお父さんが息子にだけは愛される話として涙してみました。もっとも翔兄ィなので、本当にそれに応えてがんばっちゃうんですけど。