ドリーマーズ
職場の近くに出来たBook1stはビジネス街にあっては独自なセレクションをしているので(翻訳書やコミックが多い)わりと頻繁に立ち寄るのだが、なかでも大きくスペースを取っている【絵本コーナー】がなんか不快。いや、品揃えはいいと思うのだけれど、100%オレンジや酒井駒子や、リバイバルものでは柳原良平がこれでもか!と平積みされていて、ああこういうのをオシャレOLさんは買っていくんだなと本質は実はおしゃれOLさんな私にはひしひしとわかってしまってなんか甚だ居心地が悪くなる。
酒井駒子は別として、100%オレンジみたいな【60年代エッセンスのセンスのいいチョイス】商売って、絶対必勝の後だしじゃんけんで安心だから、そこに卑怯なものを感じてしまうのだな。それは言い過ぎとしても、先人を研究し尽くして自分の持ち味に生かすのは立派な創造活動だけれども、商品化されたそれを手にする消費者側にあるのは弛緩だと思うし。
『ドリーマーズ』で、金持ちの不良ぶった子息・令嬢姉妹と同居するアメリカ人も、やたらと【正解】を口にしてむかつく奴だ。曰く『チャップリンよりキートンのほうが優れている』『文化大革命は非人間的だ』。
それは大西洋の向こうからパリに冷ややかに注がれた視線であったり、後のシネフィルや歴史家が、当然のように口にする『模範的な解答』だったりするのだが、それを今、【絶対正解の後だし】の立場で口にする卑怯は指摘されていいのじゃないか。
はじめて観るチャップリンに感動し、文革に夢を見た熱っぽさの中に、無上のエロティシズムがあるとベルトリッチ翁はいう。その甘美を収奪しつつも、『いやあ、君たち、こんな部屋に閉じこもってないで、外に出てデモに参加した方がいいよ!』とぬけぬけと言い放ち、あまつさえ『暴力じゃ歴史は変えられないよ!何やってんの君たち!』と呆れるアメリカ人=現代人の無神経さには、『じゃあどないせえちゅうねん!』と逆切れして、火炎瓶でも投げるしかない60's兄妹なのであった。