村上龍

などと書いていたら、JMMの最新号が届きました。芥川賞について村上龍がコメントをしています。

先週は芥川賞の選考会があり、若い女性二人が受賞しました。わたしは、『蛇にピアス』を推したので、記者会見に出てくれと主催社に言われました。記者会見は嫌いなので、一度はお断りしたのですが、「今回はボディピアスが主要モチーフの作品などがあって、村上さんなら対応できると思うんです」と再度言われて、どうしてわたしならボデピアスに対応できることになるのだろうと怪訝に思いながら、記者会見に臨みました。

記者会見の最後のほうで、若い作者の候補作を並べたのは出版不況対策ではないのか、という質問がありました。候補作を選んだのはわたしではないのでそういったことは文藝春秋に聞いてくれ、とわたしは答えましたが、現在の出版不況は構造的で、若い女性作家が二人デビューしたくらいで好転するわけがありません。構造的という意味は、各大手出版社が高度成長時のシステムと考え方のままで、時代状況に対応できていないということです。この若い作家二人の将来にどういう期待をするか、という質問が最後にあって、他人には期待しません、とわたしは答えました。

与えられた候補作に対して出来不出来を評価しただけ、というスタンスなのでしょうが、大手出版社の体質を批判しつつもその出版社主催の賞の審査員という権威を手にしているのだからせめて、ボディピアスにくらい対応してあげてもいいじゃないか(藁)。
冗談はともあれ、文学賞の意味に『既存の文学の領域を押し広げる作品に対する評価』というのがあるのだとすれば、選考委員はその作品の『将来』に、なんらかの文学の未来を見出しているはずで、その『将来』に、選者としての責任をとれないのなら、それは選考委員の内部にある文学という物指しで評価を下しただけの、『まあこの中ではよく出来た作品』という意味しか持たないのではなかろうか。
『俺が選んだんだから、ベストセラーになって大金持ち太鼓判だ』くらいのことを言って欲しい。巨人優勝を公約して、結果丸坊主になったテリー伊藤を見習って欲しい(比喩でたらめ)。