『容疑者Xの献身』(東野圭吾)
- 作者: 東野圭吾
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2005/08/25
- メディア: 単行本
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【ネタばれを含みますのでご留意ください】
今、この小説について書くときに、二階堂黎人氏の発言に言及しないわけにはいかない。
とはいえ、氏による“『容疑者Xの献身』は本格ミステリの要件を満たしていない云々”という発言に関しては、本格ミステリとな何ぞやという、言ったもの勝ちの原理説みたいなもので、一般読者にあまり興味のあることでもない。
むしろ、私がこの作品の終盤に感じたキレの悪さに関して、氏の提唱するトンデモな真相=【石神と恋愛関係にあったのは娘の美里】という説は、私にひとつの解説を想起させる手がかりとはなった。
私の感じる『容疑者Xの献身』終盤のキレの悪さとは、
1.なぜ美里が自殺未遂をしたのか
2.石神の減刑につながるわけでもないのに、なぜ靖子は自首したのか
に論理的な動機づけがなく、取調室で話が終わってしまうのが唐突で、石神が気の毒、という嫌な読後感しか残らないことだと思う(それ以前に、見事なトリックに感動しているので瑣末なこととも言えるが)。
トリックは暴かれた。犯罪者は司法の手に委ねられた。しかし、石神と靖子の今後の人生は?美里はどうなるのか?そもそも【自殺未遂をした】と知らせれた美里の、その後の直接的な描写すらないではないか?
と。ここで、補助線としての仮説提唱。
■東野圭吾氏は、本作品の映像化を念頭に置いているのではないか
東野氏の映像化作品は『秘密』(1999)、『g@me』(2003)、『レイクサイド・マーダーケース』(2004)の3本の映画と、『トキオ』がNHKで昨年、『白夜行』がTBSで来年ドラマ化と大変な売れっ子といって差し支えない。
中でも注目したいのは『秘密』や『トキオ』のように【母=娘】【友人=父】というトリッキーな設定が、役者や映像製作者のやる気を非常にそそりかつまた、映像作品として膨らみを与えている点である(広末涼子の“一人二役”と、岸本加代子との“二人一役”の絶妙なアンサンブル!)。
根幹を成す部分が叙述トリックである『容疑者Xの献身』は、そのまま映像化すると説明的な描写が多く、冗漫化を避けがたい。しかし、ベストセラー作家の認知度と、“見返りのない愛”を注ぐ主人公、しかも聖人君主然とした“天才数学者”のそれというドラマ部分は、テレビ・映画企画者には魅力的なものに映るだろう。(個人的には、理系差別と思っているので腹立たしいが。小川洋子も同じく。)
他方、東野氏が『容疑者Xの献身』を本格ミステリへの本気のアプローチであると捉えていたとするなら(湯川シリーズであることも含め)、あえて感傷的なドラマ描写を排し、突き放したようなラストにしたと思えなくもない。
であれば本作の次なる展開として、もし映像化を構想するのであれば、それはこの三人の“その後”を描くものでなければならない。こんな具合に。
■大予想!映画『献身』(原作・『容疑者Xの献身』文芸春秋)のラストはこんなだ!
犯罪が露呈してから数十年後。すっかり年をとった石神が刑期を終えて出所してくる。
行くあてもなく、つい足が向いてしまった懐かしい弁当屋をそっとのぞいてみると、そこにはあの日のままの靖子の姿が!
幻か?
それは、すっかり年をとった美里だった。
【母=娘】。
刑務所というタイムマシンから降り立った石神の前に現れたこの構図が、いま再び【中身=母】を取るのか【外見=娘】を取るのか、【母=娘】のあいだで煩悶する主人公と言う『秘密』のテーマを奏ではじめる。
これこそが【母娘】の存在にに仕掛けられた、東野氏の狙いであるのでは???
■蛇足
更なる続きを思いついた。
戸惑う石神に、美里が『おまかせ弁当ですね』と差し出した中身は・・・
・・・親子丼・・・
東野先生、ゴメンナサイ・・・
※謝辞
Something Orange さんのエントリーに刺激されて書きました。ありがとうございます。
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20051211/p1
※参考
『容疑者Xの献身』は本格ミステリか?
http://www.excite.co.jp/book/news/00021134118059.html