芸能人格付けチェック!お正月特大スペシャル

所詮芸能人などひと皮向けば田舎者、小金持って高級レストラン通ったところで本物の味なんかわかるわけねえよな〜

と、下種な一般視聴者の劣等感をスカッ!と解消する名番組『芸能人格付けチェック!』を見た。

もちろん下種な私も、「伊勢海老とザリガニの区別もつかねえのかぁ!?何のために久兵衛に通ってんだか」「100万円と5万円のギターの音色?んなもん、テレビのスピーカー通したらわかんねえな、うんうん」などと、テレビのコチラ側の安全地帯で呑気に正月番組を貪っていたいたわけだが。

次の、この問題に些か狼狽した。

■『次の二本のショートフィルムのうち、どちらが井筒和幸監督の演出?』

森三中出演による、1分程度のレディースの喧嘩というシークエンスが共通している。もう一本の方は素人の演出ということで、森三中のメンバーがあたっているという。
さすがに素人とプロの演出の差くらいわからいでか、と見てみると・・・

まずい、わからない(汗)。一方はバストショット・クローズアップを多用し、喧嘩の切り返しで構成した演出。他方はロングショットを用い、移動カメラでアクションを追う。
素直に面白いと思ったほうは後者。しかし井筒演出は前者だった(解答者の殆ども外していた)。
いかんなあ・・・井筒監督の映画はほとんど見ているというのに・・・

言い訳をする。後者の映像は“素人”がどれほど“演出”しているかという問題。
まず殺陣。アクション俳優でもない森三中が、ちゃんと喧嘩をしているように見えるのだから、事前に振り付けはなされていたのではないか。それは“演出家”の手によるものだったのか。
またカメラポジションもカメラマンが自分の裁量で決めていたのだとすれば、いい画が撮れるのは当然。
最後に編集だ。映像のテンポは編集で決まる、ましてや短いアクションシーンであれば尚更だろう。森三中が自ら編集機の前に座ったとはとても思えない。

つまりこれは“映画のプロ”である井筒監督と“テレビ職人たち”の手癖の演出の巧拙好みを問う問題だったのだ。

回答編で、井筒監督は自分の演出意図を『互いの表情を交互に捉えることで、感情の流れを表現した』旨のことを発言していた。

とても日本映画的発言だなと思う。以前、森田芳光が自らの映画の叙情性を訴え、かつその映画が無残に観客からそっぽをむかれたことを思い出した。
表情、カット割の意味、行間を読むような感情の起伏。こういった観客の教養を前提とした映画は、もちろん麗しいがしかし商業的には厳しいのが今の日本映画ではないのか。

むしろテレビの画面に映えるという意味で、カメラ移動を伴う、アクション全体を捕らえる画の方が一般視聴者には受けがいいのだ。職業的テレビカメラマンや編集者であればそういった絵作りをするのは当然だし、テレビ俳優である解答者の大半がこちらの映像を支持したのも納得がいく。

と、伊丹十三『ミンボーの女』が、実はことのほか面白いことに気づいた私は、年初からそんなことを思うのであった。