子どもは見るなというメッセージ

今世紀初頭、アメリカは唐突にその歴史上初めての“空襲”を受け、自分達もまた文明の塔に踏みつぶされる存在であるというビジョンを突きつけられた。
その期を逃すまいとスピルバーグが思ったかは知らぬが、『宇宙戦争』はあからさまな911映像の模倣に始まり*1、過去の戦争のビジョンを、さながらカタログのように広げて見せる。War of the Worlds ならぬ The World Wars 。車も電車も船も飛行機も失った、文明の楽園から追放された人々には、放浪するユダヤ人のイメージが重なるだろう。丘の向こうからあらわれるトライポッドの珍妙な立ち姿を、巨大で光るキノコのようだと解釈したとて、それがまるで制作者の意図せぬところであったとは言い切れまい(少なくとも日本人にとっては切実だ)。トム・クルーズの役割は、20世紀=戦争の世紀という、映像の地獄を巡るダンテなのだ*2

だから?とここで訳知り顔で映像を解釈する輩(私のことだ)に、疑問をぶつけないといけない。なるほど、この映画が21世紀の戦争画だったとして、それが観客にとって何だというのだろう。

だから?という声は観客から映画に向かっても上がるだろう。映像は凄いね、音響は最高だね、だけどあのラストは何?話ちゃんとしてくれない?なんで息子が助かってんの、ボストンだけ無事なの、ご都合主義じゃない???*3

映像は恐怖を伝播するが、痛みを伴わないぶん風化も早い。テレビで、こうしている間にも配信されてくるテロルの映像に、私たちはもはや慣れ親しんでいる。だから『宇宙戦争』が、リアルな戦争映像の羅列だけでは娯楽映画としては成り立たない事くらい、スピルバーグが気付いていないはずはない。だからこそ父親は父性愛を発揮し、戦い抜いた者だけが家族に再会するというハリウッド・エンディングが用意されているのだが、しかし、この歯切れの悪さは尋常ではない。原作どおりとはいえ、まるで上映時間が終了するのであわてて付け足されたような宇宙人の自滅。トムとて、さしたる勇敢な行為をもって宇宙人攻略に挑んだ訳でもない、ただただして来た事は・・・娘の眼を塞ぐ事。

『子どもは見るな』というメッセージだけが、通奏低音のごとく映画を貫いている。その惨劇を目にしなかったよい子だけに、幸せな結末を用意してあげよう。それがハリウッドなんだよというお約束に、『宇宙戦争』は耐えられているのか*4。PG13という半端でレイティングはむしろ、シネコンでポップコーン片手に眺める小中学生には、ヌルい刺激しか与えないことだろう。彼らが物心ついた時から、テレビで日常的に流れる暴力の映像は、もはや彼らに恐怖すら与えない。

その暴力に対する麻痺こそが、21世紀における脅威そのものだと言って過言ではないと、『宇宙戦争』はあえて感傷的なストーリーの誘導を捨て、暴力の映像を並べることによって証明してみせる。最後に奮闘むなしく死滅する宇宙人の姿に、映画が描く暴力が現実に敗北するさまが重なってくる*5。カラスについばまれ崩れ落ちるトライポッドは、20世紀形の脅威が去り、いままた21世紀形の脅威を描く必要に、映画が迫られている事を端的に表しているかのようだ。

そのビジョンを前に、『子どもは見るな』というメッセージは果たして有効なのか。真面目な話、5歳の息子をこの映画に連れて行くか否か、私にはまだ答えが出せないでいる。

(『宇宙戦争』の項、おわり)

参考;『戦争と万博』
戦争と万博

*1:落下物、広がる粉塵、画面前方に逃げてくる人、降り注ぐぼろ切れと塵灰

*2:故にうっかり、この映画を『デビルマン』のようだと漏らした者を誹ってはいけない。『宇宙人がウィルスで絶滅しました』と『アルマゲドンが起こって人類が滅びました』は、ストーリーテリングを放棄するという一点で同程度に無責任であり、それゆえ衝撃的だ。

*3:http://d.hatena.ne.jp/screammachine/20050708#p3

*4:このエンディングの不気味さについては、http://d.hatena.ne.jp/matterhorn/20050704#p3の指摘が震えがくるほど素晴らしい。この項自体、このエントリがなければ存在していなかったことを書き添えておく。

*5:宇宙人、『無念〜っ!』て顔してて笑った。この映画で一番感情移入した箇所かもしれない。