有楽町駅前第1地区再開発事業

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予てより予定されていた有楽町駅東口界隈の再開発事業に伴う、取壊し工事が始まった。
この機に、2年半ほど前に書いた文章を再掲する(2002年11月14日)。

■『有楽シネマ』

荒木陽子+経惟の『東京日和』に、二人で結婚記念日にヴィム・ヴェンダースの『東京画』を観に行く場面がある。
陽子は、ヴェンダースの小津や、映画に対する視線に心揺さぶられるのだが、しかし映画の後二人で行った、かつて青春を過ごした入谷や谷中の風景-<私の『東京画』>-に対し『一瞬、懐かしいな、という感傷がよぎったのだが、なぜかその感傷が胸の中に深くしみ通っていか』ず、ヴェンダースのようにストレートに想いを入れ込むことができないことに苛立つ。

その風景が、『私にとって心にひっかかりがある場所』であるからこそ、失ったものへの感傷は私を不安に駆り立て、全く新しく無関係なモノに囲まれている時のほうが安らぎを感じるのだと言った陽子は、この結婚記念日から半年後に、他界する。

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この陽子の文章に添えられているのが、1989年当時の有楽シネマの写真である。
隣の喫茶店『ドラゴン』が、味気ないパスタ屋に変わってしまってはいるが、ごちゃごちゃと薄汚れた界隈の雰囲気は今と寸分変わらない。

有楽シネマは元々東宝の直営館で、1963年には日本初の切符自動販売機が設置されている。日比谷にシャンテができる以前は、ATG作品やフランス映画社配給作品などをかける、ミニシアターの走りのような番組編成で人気があった。伊丹十三のデビュー作『お葬式』がここで単館ロードショーされ大ヒット、拡大興行を続け、最後には当時の東宝の一番館、日比谷映画での公開まで上り詰めたというのは、今でも興行界で語り継がれる伝説となっている。

その伊丹も今や鬼籍に入ってしまった。

その後、日比谷シャンテや有楽町マリオンの完成により、有楽シネマはニュー東宝シネマでもかからないようなBC級映画の吹きだまりとなり(とはいえ、この頃ここで観たものに拾い物は多い)、やがて東宝に見切られ成人映画専門館になったりした時期もあったが、現在は気鋭の配給会社シネカノンの直営劇場『シネ・ラ・セット』に生まれ変わり、都内でも屈指の美しいロビーと、精力的な特集上映や魅力ある封切り作品のラインアップで映画ファンの心を掴み、往時の隆盛を取り戻しつつある。

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『東京日和』にはその後、経惟が二人で歩いたのであろう『心にひっかかりがある場所』を独り歩き、『ライカでカラーで』写された写真が並ぶ。
モノクロームの小津の『東京物語』を、ヴェンダースがカラーの眼でなぞった『東京画』が、もうこの世にいない小津に無邪気に愛を捧げているとは裏腹に、カラーで撮り直した荒木の<私の『東京画』>の、いるべき人がいない不在の写真の連なりは、不安と苛立ちに満ちている。

哀しみは、心の中で大事に抱えていないと、どんどん無くなっていってしまう。
新たな関係を築いて心が安らぐ度に、感傷が薄れていくことが、だから、本当に大切なものを失った人を苛立たせ、不安にし、そして寡黙にさせる。

失われていくモノへの感傷を大声で語る奴は馬鹿かペテン師だ。

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