有楽町駅前第1地区再開発事業

解体開始記念再掲載その2。レバンテ編。

『レバンテ』

某大手企業の重役であった私の叔父は、定年を迎えた今でも非常勤の相談役として、月に数度、銀座に通ってくるのだが、其の度近くにある私の会社に立ち寄り、職場の女の子達と食べなさいとお土産を置いていく。子供がおらず、湘南のマンションに夫婦二人暮しの叔父にとって、私達甥や姪はそれこそ子供のように可愛いのだろうが、流石に40才が見えてきた今になっても子供扱いされることには少々こそばゆさも感じる。

ところで叔父が持って来るのは、決まってレバンテのあんぱんである。有楽町駅前の、古ぼけた外観のこのビアホールで、今では会社役員やら経営者になっている往時の仲間たちと会食をし、赤子の頭ほどあろうかという名物のあんぱんを袋一杯、甥や姪達のお土産に買って帰るのが、上京時の叔父の楽しみなのだ。

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戦後推理小説の金字塔と呼ばれる、松本清張の『点と線』は、ある省庁の汚職事件を背景に起こった、偽装された心中事件の謎を追ううちに、時刻表という数字の網目に巧妙に折り込まれたアリバイトリックの中から、犯人のギラギラした野心が見えてくるという傑作である。特に犯人の、幾重にもアリバイ工作を張り巡らし、周到に犯罪を計画するその行動力・タフネスさや、野望に対する貪欲な飢餓感の描写のリアリズムこそがこの作品、ひいては清張が徹底して追い求めたテーマであり、現在の日本では失われている、かつて昭和と言う時代を動かす原動力となっていた、この『どす黒いエネルギー』の存在を感じることこそが、今、清張を読む理由だとも言えるだろう。

「じゃ、明日、三時半に、有楽町のレバンテに来いよ」

『広い額と通った鼻筋をもって』『色は少し黒』く『描いたような濃い眉毛があった』と正に野心家として描写されたこの犯人が、冒頭、アリバイ工作の舞台としてレバンテを使う場面が描かれる。
実際に清張がこの店に訪れたという記録は見つからないのだが、通りに面して窓のある席からは、周辺にビルの少なかった当時であれば、有楽町駅から国電が伸び、東京駅まで達するのを見通せたはずで、有名な『駅ホームでの四分間の空白』トリックを、清張がこの席で電車を眺めながら思い付いた、などと想像するのも面白い。

またレバンテの階上には、ホテルのように教育の行き届いたボイやコックのいる、高級なレストランや宴会場もあり、場所柄、新聞記者や、企業の重役陣、あるいは省庁のパーティーなども盛んに行われていたと言う。それこそ、『どす黒いエネルギー』が夜な夜交差し、時代が動くダイナミズムを目撃していたのがこの店なのだ。だからこそ今でも、この店には当時の、社会的に地位のあった人々が集い、昭和という時代が色濃く残るこの場所を慈しむのだろう。

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他でも無い私の叔父も、かつて日本を揺るがし、時の首相が逮捕までされたあるスキャンダルの渦中にいた。

今ではその事件は、単純な汚職事件ではなく、急速に日本と中国との距離を縮めた「ある勢力」と、極東のシビリアンコントロールを支配したい「ある勢力」との戦いが背後にあったと言われている。『日本の黒い霧』ではないが、清張が現役であればきっと著していたであろう題材であり、その中でも叔父は重要な位置を占めていただろうと想像する。

けれども、私は当時の事を直接叔父から聞いたわけではない。口さがない親戚が、「投獄された」だの「公安につけまわされた」だの陰口を言うのを、子供の頃から耳にしているに過ぎない。

甥や姪を溺愛する、好々爺然としたあの叔父の過去には、まさか『点と線』の犯人のように人などは殺めてはいないだろうが(鎌倉に夫婦二人で住み、横須賀線で通勤し、省庁の近い場所で汚職事件に巻き込まれ、レバンテに通っている、と、共通点は矢鱈多いのだが 笑)、私には想像もつかない『黒い霧』が横たわっている。でも私は、その叔父の『黒い霧』を覗き込むことが、どうしてもできないのだ。

それは、もう、あのあんぱんが食べられなくなるのが、寂しいからなのかもしれない。

点と線 (新潮文庫)

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