第3回湘南邸宅文化ネットワーク協議会シンポジウム

三浦半島の付け根に近い、小高く奥深い山から染み出した流れは、東西に細長い谷あいの田畑を潤わせながら、半島を縦断する街道と交差する。ここから流れは、海までのわずかな距離を幾度も蛇行しながら進む。
街道から、川沿いの道を海に下っていくと、その川の複雑な軌跡が、単純な直線の路地の少ない、曲がりくねった小道から成るこの街の区画を形作ってきたことがわかる。
大きな瓦葺の屋根の向こうに海を望みながら進んでいくと、ふと道がカーブしたそのむこうに、ひときわ狭く、薄暗い一角が見えてくる。

そこには、高い塀を周囲にめぐらし、さらにその道に面した一辺に竹垣を配した古めかしい屋敷があった。鬱蒼と茂った竹は、すでに竹薮と呼ぶにふさわしいほどで、小道に覆いかぶさるように陽の光を遮断している。門から覗く屋敷の外壁は黒い板張りで、中央の尖塔には、丸いガラスが嵌っているのが見える。とはいえ洋館風なのはそこだけで、屋根などは純日本的な数奇屋作りで、この屋敷がかなり風変わりな趣味を持った施主により建てられたものだと、見るものの想像に訴えかけるのだった。

さて、この建物は現存しない。ある日突然、土建業者がやってきて、建物を解体し塀を撤去し、竹薮を根こそぎ引っこ抜くと、あとには綺麗に整地された更の地面に、あっけらかんと明るい日差しが降り注いでいた。

失われたのは貴重な建造物だけではない。家をとりまき、周囲の環境を形作ってきたもの、この例で言えば、景観を複雑に彩る鬱蒼とした暗がりであるとか、見るものの想像をかきたてる人の想いが層になった歴史であるとか、そういった街を作る要素がごっそり消えうせていまったのだ。

ところで、私にこの喪失を嘆く権利はあるのだろうか。なぜなら、他でもない、その味気ない、陽光の燦燦と注ぐ更地の一角に、家を建てたのが他でもない私だからだ。

『第3回湘南邸宅文化ネットワーク協議会シンポジウム/【邸宅文化の景観づくりと市民活動】』に参加した(シンポジウム・2/19日 オプショナルツアー:葉山の別荘と景観めぐり・2/20日)。

http://www.kanalog.jp/news/local/entry_2243.html
http://www.kanshin.jp/hayama/index.php3?mode=keyword&id=413829

水沼淑子教授による基調講演では、西は小田原から東は葉山に至る『湘南』地帯が、明治期より相次いで建立・移築された要人の別荘邸宅により、現在の湘南文化が形作られた歴史を踏まえ、こうした歴史的景観を守るには他ならない別荘邸宅に現在居住する『選ばれた人たち』の意識が重要であることを指摘しつつ、地域住民の取り組みと問題点が報告された。なかでも、東京都を中心にした大規模邸宅再生方式である、自治体が管理し、貸し出された民間が事業として運営する(レストラン等)方式を紹介しつつも、やはり邸宅は人が住む住宅として使ってほしい、という意見には、はっとするものがあった。

続いてのパネルディスカッションでは、湘南各地における歴史的住宅の保存運動を通して見えてくる、地域の住民の関心がもっとも大切であるという点が指摘されたほか、保存されるべきは歴史的に価値ある『A級』建築だけでなく、名もなき個人邸のあつまりが形作ってきた、住宅を含む、路地・塀・樹木、あるいは歴史的な堆積といった『景観』こそが街にとって大切なものではないかというアピールがあった。

中でもとりわけひかれ、あとで個人的にもお話させていただいたのが、アース・デザイン(http://www.earth-d.jp/)齊藤さんの話。
ただ『景観を守ろう』『環境の保全を』と訴えるだけでなく、そこには経済合理性が必要ではないかと訴える。とりわけ、不動産取引における業者の利益率の高さをあげ、これを売り手・買い手に還元することで、両者に経済的な負担を負わすことなく、きめ細かい『ニーズ』に応えることができる、これが結果的に環境保全につながっていくという。

たとえば、私はこの地域で土地の購入・売却をともに経験しているのだが、どちらのケースでも、仲介業者は意外と細かい注文を聞いてくれない。というか、購入の場合は既に市場に出ている『売地』を斡旋されるだけであり、売却の場合は、付近の売価や土地の形状等を見て『坪単価』を決めるのみなのだ。

たとえば『古家を土地ごと購入して、庭木と塀は残してほしいけれど物件はあるか?』とか『リフォームして住みたいと言ってくれる人が出てきたら、費用を持ってもいいのだが、その場合家賃はいくらに設定すればいいのか見積もりを出してほしい』とか、いささか散文的だが、しかし確固としてあるこうした素朴な『ニーズ』は『市場商品』としての不動産物件のオプションとして存在しないのである。

しかし、刻々と代替わりし、住民が活発に入れ替わる生きた街の中で、環境を保全するとは、まさにこうした『ニーズ』をくみ上げることでしかないのではないか?

こうした『ニーズ』に対する無関心は、不動産業者の利益となる『市場主義』にとって、それが純然たるコストである、という認識からくるものだろう。齊藤さんはこの構造に異を唱え、消費者本位の不動産取引を目指しているのだと思った。
http://www.earth-d.jp/consul/sell/index.html

なかなか旧態依然かつ大企業支配力の強い業界で、風当たりもつよいだろうと思う。しかし『月に何件も契約を取ろうと思うから無理がでる。僕みたいなちいさな事務所なら、月に一件もとれれば十分やっていけます』と笑う齊藤さんは、私とまったくの同世代ということもあり、そのビジョナリストとしての資質に共感することしきり。

続いて20日は、今回のシンポジウムのホストである『葉山環境文化デザイン集団』主催による『葉山の別荘と景観めぐり』ツアーに参加。ツアーという名はついているが、徒歩による移動。しかし半日の徒歩圏に、まあよくぞこれだけの別荘建築が!しかもそれらの元のオーナーのすごいこと。高橋是清桂太郎、金子堅太郎ら日本の近代史はここ半径100メートルで起こったのですかい!と歴史マニアならたまらないだろうラインアップ。

こういった別荘が連なっている地域は、いまではほとんどが大企業乃至はそのオーナーの所有になっている海沿いの大規模洋館を除けば、山間に、車も通らない狭さで曲がりくねる路地の左右に点在している。古びた石垣や、手入れされた生垣から覗く庭木、思いもかけない角度からいきなり目の前に広がる海。普段何気なく歩いているそんな道の端々に、歴史なり物語があるということが面白く、またそれらが連なる道を歩いていると、その脇に新しく建てられた(今回の趣旨から言えば、景観を乱す存在であるところの)戸建住宅から、子供の声などが聞こえてくるのもまた、いとおしく思えてきてしまう。

葉山に、こういう景観が残った理由に、この『車が通らない路地』があったと、環境文化デザイン集団の事務局長、杉浦敬彦さんは言っていた。しかし、単純なアンチ・モータリズムが、環境破壊を防ぐ力には成りえないと、この素敵な老建築家はまた語る。

その横顔を見ながら、こんなことを考えていた。私たち新興の住民は、街とつながっているのだろうか。街とつながるということは、大上段に構えれば、政治参加に始まり、地域遺産の保全活動、歴史の継承など、行わなければならない煩雑で困難な課題が山積みだろう。
その一方で、たとえば隣の老人がどんな若いときを過ごしていたのだろう、とか、あの公園の大樹はいつから立っていたのだろう、とか、手で触れられる範囲の『歴史』からさえ、切り離されてしまっているのが、都会に職を持ち、郊外に自分たちの居をかまえざるを得なかった、私たち世代が共通で持つ『断絶』なのではないだろうか。
その断絶を埋めるために、まずは家の周りを、自分の住む街を、自分の足歩いてみる。そして歩いてみなければ見えない、ちいさな『歴史』に目をとめてみるということから、あたらしいつながりを作っていくことが、また次の世代に向けた、景観を形作る伝統となっていかないだろうかという願いは、あまりにもナイーブに過ぎるのだろうか。

シンポジウムの模様は、ネットラジオ『nusic』でオンエア予定
http://www.hayama-nusic.net/