『アメリカにことよせて』

戦争なんて反対にきまっている。しかし私は反戦運動に乗り気になれない。アメリカに追随するだけの政府は馬鹿だと思うが、選挙に夢を託す若者がいたら鼻白むだろう。

「アメリカ」と「日本」と「わたしたち」はどうしてこんなにも機能不全に陥ってしまったのだろう。どうすれば「思い」と「行動」を結び付けられるのだろう。

「日本」だけでなく「アメリカ」における絶望的な機能不全を、それでも治癒するとすれば「わたしたち」をおいて他にないというのに。

それでも今の事態を考えるのに、「冷戦」の落とした影を無視するいわれはないと思います。冷戦の間、ソ連もアメリカも第三世界をさんざん利用し、お互いがお互いに対するゲリラとかテロとかを支援したのは、別に国際政治の裏の裏に通じていなくとも、予想がつくことです(中略)こうした状況下でいかにして安全を守るか、という課題に先進国が直面させられているのは確かな事実で、「世界経営」ということに無関心ではいられないわけです。各国が自由独立に存在していて、他国に無関心でいられるような状況では残念ながらない、それがグローバル化ということの意味だと思います。そして、その課題にある程度の責任感をもって取り組んでいるのは、やはりアメリカだけです。そのことは認める必要があると思います。ロシアなんか、冷戦の敗者のくせして何ら国際的責任をとられることもなく、大きな顔で経済援助にたかっているだけで、自分が冷戦期にまいた種を刈り取ろうなどという責任感はほとんどみられません。西欧も日本も(中略)アメリカを先頭に冷戦を戦わせることで、共産主義の脅威から身を守り、利益をえていながら、やっぱり何もしないし、する能力もない状態です。
アメリカがどことなく危険な国なのは確かで、映画「インディペンデンス・ディ」なんかを見ると、宇宙にまで敵を追い求めないと国民がまとまらないのか、果てしなく敵を必要とする国なんじゃないかと危惧してしまう。ただし、最近のアメリカのイメージは、まずは孤独というのが妥当なのでは、と感じられるわけです・・・(K.T)