【創作】ヴァニラ画廊の狭いエレヴェーターで
遅めの昼食を取り銀座の裏町を歩いていると、久しぶりに通りかかるヴァニラ画廊の看板に「古賀新一展」の文字とイラストがあるのが目についた。古賀新一!その名前を耳にしただけで震えが来るほど、私たち世代を恐怖に陥れたホラーマスターの展覧会が、他でもないヴァニラ画廊で開催とは!思わぬ僥倖にほくそ笑みながら、その古いビルの、おそらく2畳ほどもない狭いエレヴェーターに載って、画廊のある4階まで登っていった。
四方の壁が古賀先生の原画で埋め尽くされた会場は、思った以上の賑わいで、ファンや関係者と思しき人達の歓談するさまが、一見ポップな雰囲気さえ漂わせている。しかし一点一点の絵を凝視すると、あの恐怖に心を鷲掴みにされながら漫画を読みふけっていたころの気分が蘇ってくる。印象深かったエピソードが、まるごと展示されている。こんな話だ。
学校の優等生が、転校生の美少女に恋をする。彼女も彼のことが満更ではないらしい。彼女にはどうも不思議な運のようなものがあるらしく、優等生くんは彼女が転校してきてから、スポーツや勉強で好結果を出すようになった。彼女は幸運の女神に違いない、そう思った彼は、草むらに彼女を誘うと、告白し、一気に押し倒してしまおうとする。まって、わかったわ、後悔しないでねと言うと彼女は服を脱ぐ。そこにあったのは、乳に両目が、臍に鼻が、そして腰に裂けた口が不気味に開く悪魔の顔だった。そう、あなたの幸運はわたしの黒魔術のおかげだったの、でもこれを見た以上は生かしてはおけないわ。哀れ優等生くんは悪魔の餌食になってしまうのでした。
とうてい少年漫画とは思われぬ、エロスとタナトスの濃厚に香るこのエピソードは、どうやら連載第2話だったらしい。ふと気がつくと、談笑するひとびとの中央に、白髪の老人が立っている。なにかの拍子に振り返った老人と目が合った。その目が、今、絵の中で見た悪魔と似ているような気がして、そう思い出すとこの場所で歓談する人々の陽気さが、まるでローズマリーの赤子を祝福するあのマンションの人達に見えてきて、私は早々に画廊を立ち去ることにした。
帰りのエレベーターを待っていると、画廊からスタッフと思しき女性が出てきた。その素朴な感じにほっとする気分を覚え、つい話しかけていた。
「あの小柄な白髪の方、古賀先生ですよね?」
「そうですね。やっぱり、漫画読んでらっしゃったんですか?」
「それはもう、リアルタイムですよ」
やがてやってきた狭いエレヴェーターに乗りあわせながら、私は古賀漫画の思い出を語りだしていた。
「最初に古賀先生の漫画を読んだのは小学生の高学年くらいで、冒険王という雑誌の別冊付録だったんです。内容はよく覚えていないんですが、怖くて怖くて仕方なくて、もう手元においておくことが出来なかったので、ベランダの古新聞の束につっこんじゃったんです。でも何故か後で気になってしまって、夜になるとこっそりベランダに出ては、束から引っ張り出して月明かりの下で読んでいたんです。」
「何に、そんなに惹かれたんでしょうね?」
「それはですね・・・ちょっとエッチなところがあったからですね。背徳的な気分というか、そういうのを子供心に感じていたんですね、きっと」
「それはいいトラウマですね、ケケケッ」
そういうと彼女は舌なめずりをした、ように見えた。ぎょっとして立ちすくんでいる私を尻目に、彼女はエレベータを降り、スタスタと立ち去っていく。その後姿に、どこからか不気味な呪文が聞こえてくる。
エコエコアザラク…エコエコザメラク…
ヴァニラ画廊「古賀新一展」12月3日まで 11月26日にトークショーあり
http://www.vanilla-gallery.com/archives/2011/20111121.html