『久米宏・経済スペシャル“新ニッポン人”現わる!』(テレビ東京 1日)

ガイアの夜明け + テレビスクランブル風味の内容は、やっさん役に、岡野工業の社長をあて「今は親分肌の人間がいないから、若いモンは可哀想だよ!」的発言で、その若いモンの失笑を買ったり(笑)、株の知識を披露するなど「ルックスによらず、意外としっかりした若者像」を小倉ゆうこりんがしっかり務めるなど、さすがのオフィス・トゥ・ワン的演出でしっかり見せる。小宮悦子役が、小池百合子なのはどうかと思ったが。

さて番組は「モノを買わない20代」の実態に迫るという内容で、インタビューや調査を通じ、「カネがない→モノが買えない」という単純な因果関係だけではない、20代の消費行動を探っていく。ワカモノが天秤にかけているのが、「目先の快楽」より「先行きの見えない将来に対する恐怖」である。俗に言う「失われた10年」育ちの彼らが、「快楽の消費」から「安心の貯蓄」へと行動をシフトするのはよくわかる。「貯蓄」そのものがセーフティーネットとは言い切れないという指摘もあるが、それが現代日本の教育の限界でもあるし、日本的経済の仕組の実態であるということはさておいて。

興味を引かれたのは、彼らにおける「モノ」の価値の下落であり、消費が快楽でない以上、「モノが買えない」ことに不自由をあまり感じていない点だった。卑近な例を引くならば、「ビール」の代替に「その他の雑酒」を買うことに、寂しさを覚える我々バブル世代(苦笑)に対し、彼らは「そもそも酔えれば同じだし」「むしろ、酒など飲む理由がないし」と執着を見せない。

ちょっと考えれば、世の中に溢れる様々な商品のうち、本当に生活に(生命及び社会生活維持に)必要最小限なモノは、ごく僅かであることは明白だ。でも私たちは、そこに「贅沢」であるとか「ステイタス」を求めて、モノを買う。旅行、車、酒、外食、ブランド。カード会社のCM言うところの「プライスレス」な価値(苦笑)を、カードで借金してまで必死に買っている中高年を、彼ら若者は哄笑するのだった。

こんなことも考える。例えば、嫌煙運動。世の愛煙家は、偏狭で不寛容な社会の風潮を嘆いているし、煙草を吸わない私も、いささかそのヒステリックな風潮には違和感を覚えていた。だが実はそんな風潮などは、世の中から煙草を閉め出す主要因ではないのだとしたら?そもそも「喫煙」という行為に対する、若年層の極めて実利的な無関心こそが、煙草産業に決定的に打撃を与えているのではないか?

酒類の売上減少、書籍の売上減少とブックオフの隆盛、暴走族の高年齢化(笑)と、よく言えば文化、ぶっちゃければ趣味趣向へ資金が流入しないということ。これは単純な景気の問題だけではなく、インターネット時代ならではの「情報の速度と共有」という根っこがあり、コミュニケーションの本質的な変化が背景もあるのでは。六本木で合コン?高級居酒屋は値段の半分が森ビルの家賃だろ?見も知らぬ異性と飲み交わす七面倒臭さを考えたら、mixiで気の合う友人を探したほうが気楽だし、みたいな。

見終わるころには、そうか、こういうところから日本が崩れていくんだなあ、とちょっと感慨深くなった。日本という国が培ってきた、文化・仕組を含めた消費財としての「ニッポンのモノ」が、自国民から「イラネ」と言われてしまうということ。いままで漠然としていた、日本の終わり方の具体的な姿を、思いもがけず見せられてしまったようだった。