バラエティ空間について

さきに、稲垣メンバーによるバラエティ「ほんとにあった怖い話」について違和感を表明したことがあったけれど、はてなダイアリー-来襲http://d.hatena.ne.jp/matterhorn/20040311読んですごく腑に落ちた。

そこから伺い知れるのは、僕たちがそれほどまでに「リアクション」ということに対して自覚的にならされてしまっていたことだと思う。少なくともこの言葉の発信源であるところのテレビバラエティの世界においては「リアクションを困らせない」ということが以降鉄則のように機能していく。リアクションを困らせないタレント、リアクションに困らないタレントがバラエティ要因、と見なされ使われ続ける。いまや「タレント」という言葉は「リアクションに困らない才能」を意味せんがほどだ。

つまりテレビとはまさに、感情のリアクション化を促進するマシンであり、幼少期の子供が感情というものを形作る過程で、それに多く触れることで、本来言語化されない多様な内部が「リアクション」という単純な反応に置き換わってしまう危険性をはらむということなのだった。

しかし「感情のリアクション化」は本来、映像・演劇表現にとっては必須のことがらでもあって、だがその複雑さや新たな切り取り方を提示することがジャンルの進化であったはずの映画・演劇におけるリアクションにさえ、テレビ的・バラエティ的・現代的なリアクションが影響をあたえていて、それをふまえて語らないことには現代日本の映画はいかんのではないかと論考する、id:matterhornさんの日記は面白い!特に渡辺謙の涙目についての話http://d.hatena.ne.jp/matterhorn/20040328は、黒沢明映画での仲代達也が、かつていかに「大根」と揶揄されたかすっかり忘れ去られた昨今においてこそ、指摘されるべき視線であると思える。