では舞城は

と書くとこれは「ファウスト」での東浩紀「メタリアル・フィクションの誕生」にあった、ギャルゲーにおけるプレイヤーとキャラクターの視線の交差がより強い感情移入と虚構の自律性を生むといった話が思い起こされ、実際その号における舞城の「ドリル・ホール・イン・マイ・ブレイン」が、まるでその理論の実践版のように、(虚構内の)虚構と現実(脳の外にいる脳の主と脳内世界の主)の視線が交差しまくる話ではあったのだが、ここにおいても舞城作品にはバカバカしいほど感情移入などできないさりとて作品は自信満々で「虚構の自律性」なんか読者の感情の介在などなくたって俺にはお茶の子さと余裕すら感じるわけで、それが天才なのかと言ってしまうとおしまいなのですが。