雨があがらないので、家でずっと昼寝をしていたら、なんだか世の中が遠くなってしまって落ち着かない。
都会に住む人にはうらやましがられる住環境なのだから、『休日は家族で釣りをして楽しんでいます』などと、“湘南スタイル”に出てくるゲイジュツカのように構えていれば良いのに、俗世間大好きの私は、わざわざネットやテレビや雑誌でいらぬ情報を吸収しては、心を『時代の気分』で満たしている。
当然、そんな心持ちだから、そんな絵に描いたような“ゲイジュツカ”の皆様とも一向にお知り合いになれない。俗な私は密かに、“湘南スタイル”のようなスタイリッシュな社交生活に憧れているのだ。
考えてみれば、東京のど真ん中、青山渋谷あたりに下宿していた当時も、結局そのあたりの、ギョ−カイ人(90年代当時の言葉)が出入りするような店に、ついぞ足を踏み入れたことはなかったし、中国語学校の同学と、新宿大久保あたりを飲み歩いていた時期も、店の人たちと仲良くなったり、馴染みになったりすることはなかった。
何時何時、どのような社会組織に属していても、常に居心地の悪さを感じ、“そこのヒト”になりきることができない。会社や地域、飲み屋などで、すっかりその場所に馴染んでいるひとが、うらやましくて仕方なく、一緒にその場にいながらも、内心の居心地の悪さを実は周りからすっかり見透かされているのではと、さらに気分が憂鬱になるのである。