『雨の王ヘンダソン』

 アメリカ人にとっての冒険小説は「ハックルベリー・フィンの冒険」にすべての原点があるとも言われている。現在あるアメリカ文学の青春小説、冒険小説は「ハックルベリー」の様々なバリエーションに過ぎない。そんな中で、一風変わった冒険譚の物語がある。ノーベル文学賞受賞作家ソール・ベローの「雨の王ヘンダソン」である。(中略)「ヘンダソン」はどこか明るく滑稽さに彩られている。ある種「ハックルベリー・フィン」が無邪気にアフリカまで出かけていったような物語である。
 「シタイ、シタイ、シタイ!(I want!)」と心の欲望の声に迫られながら、実際のところは「何がしたいのかわからない」男の冒険譚である。何不自由ない、名門出身の金持ちヘンダソンは、肥満した巨体を揺らしながら、何かにつけ「欲しい」「やりたい」「何かやらなきゃ」「何とかしなきゃ」という強迫観念めいた欲求に責め立てられている。それが、アフリカの奥地まで出かけていってひと騒動(幾騒動も)巻き起こす原因である。そんな衝動に突き動かされて、すぐさま行動を起こす彼が主人公である。
 「狂気の時代においては、狂気におかされまいと望むこと自体が、一種の狂気に違いない。だが、正気の追求もまた、一種の狂気ではないか」
 ヘンダソン本人もそんな自分の異常さに気づいてはいるが、その衝動を抑えることは出来ないのだ。無邪気なまでに自分の欲求の正しさを信じている。困ったものだ。無論、そんな男に勝手に来られたほうにとっては迷惑な話だ。言うなればお節介のかたまりである。しかも信念をもってお節介をしに来ているのだからたまらない。それがアメリカ人という訳だ。(OZ★オザワカヲル)