『宇宙戦争』と万博

H・G・ウェルズにより1898年に発表された『The War of the Worlds』の背景について、東京創元社刊『宇宙戦争ASIN:448860708X中村融は以下のように述べている。

冒頭から明らかなように、火星人に侵略される英国は、ヨーロッパ列強に侵略される植民地になぞらえられている。(中略)ウェルズの批判はたんなる帝国主義批判にとどまらない。というのも、火星人と地球人との関係は、地球人と下等動物との関係に等しいと繰り返し強調されているからだ。つまり、ウェルズは人間という種(しゅ)そのものの驕りを批判していたのである。
中村融 訳者あとがき より)
http://www.tsogen.co.jp/wadai/0505_06.html

20世紀を目前にした稀代のSF作家の脳裏には、次世紀の戦争が、その科学力において圧倒的に優位に立った一方の陣営による、他方の大虐殺になるということが予見されていた。だからこそ、この原作がその後幾多の大虐殺を前に何度も招聘され、その暴力性を映し出し警告する“鏡”として機能しているだが、ここでひとつの妄想を−作家の脳裏に、圧倒的な科学が人類とっての脅威となると思わせるに足る、ある“ビジョン”があったのではないかという想像を書き連ねてみる。

1898年。その年、作家の住むロンドンから東、海峡を隔てた隣国の首都に、まさに科学の粋を極めた建造物が落成し、上空から人間たちを−2年後の万博では、文字通り世界中の人間を−圧倒するように君臨していた。誰も見たことのない、人々の都市観を根本から揺るがすビジョンを提示した歴史上初の建造物。

エッフェル塔である。

ウェルズがエッフェル塔に影響を受けたなどという証拠はないし、そもそもパリを訪れたことがあったかも知らない。だが写真などで、この4本の足を持ち、どこか奇妙な生物性を備えた巨大な鉄の塔が、パリの上空から人々を睥睨するビジョンに触れたとき、もしこれが動き出して人々を蹂躙し始めたならどんなに恐ろしいかと作家が想像し、そこに近未来の兵器の進化形を見たとしてもあながち説得力のない話ではあるまい。事実『The War of the Worlds』で火星人は、長い鉄骨性の3本の足の上に、タンク状のコクピットを備えた“塔のような兵器”に搭乗して、地上の人々に襲いかかるのである。

時代を反映する『宇宙人の脅威』

一度見たら忘れられない、独創的でありながらどこかユーモラスなフォルムで、『タコ型宇宙人』と共に20世紀SFを代表するキャラクターとなった『3本足の巨塔=トライポッド』は、こうして20世紀における科学技術の暴力性を予見する存在として生れ落ちた。

だが半世紀を経た1953年版の映画『宇宙戦争ASIN:B000666QAG、トライポッドは登場しない。これについて殊能将之

1953年版でトライポッドが円盤に変わっているのは、特撮の限界からでしょうね(三本脚で歩かせるより、ピアノ線で吊るほうが簡単だから)。
http://www001.upp.so-net.ne.jp/mercysnow/LinkDiary/links0507.html

と指摘していて、案外身も蓋もなくそんなところが真相な気もするが、そもそも『搭乗歩行型の兵器が既に脅威ではない』時代背景があったのではと、ここでは強引に進めてみる。

第二次世界大戦が連合国の圧勝に終わったのは、特に米国と『他人種』である日本の関係においては、本土空襲を可能にした圧倒的な航空兵器の物量の差であり、いうまでもなく核兵器の存在であった。その後、朝鮮戦争を経て米国の経済的・科学的・軍事的優位が明らかになる一方、台頭する東側諸国との緊張関係が強まる中で、米国人が漠然と感じていた脅威とは、東側諸国の−ソ連の新型航空兵器が急襲してくるというシチュエーションだったのだろう。つまり53年版の映画において製作者は、米国人の『敵が空から急襲してくるのでは』という不安感を、“飛来するエイのような戦闘機”に搭乗する『宇宙人の脅威』に置き換えて見せたのだった。

ではなぜ、2005年版の『宇宙戦争』において、再び『3本足の巨塔』は召還されたのか。

http://d.hatena.ne.jp/beach_harapeko/20050711/p1へつづく)