映画彷徨

東劇 『雪の断章 -情熱-

佐々木丸美の原作を読んで以来、相米慎二監督による『雪の断章 -情熱-』がミタイと思っていた。

原作の、佐々木丸美世界は癖があって、生意気なペダンチスムの鎧で身を固める少女たちの冷たい楽園で、雪の中で赤いコートでデビューした斉藤由貴がきっとその世界を体現してくれるのだろう、そんな期待で、フィルメックスの会場に向かった。

ロビーでは、相米監督ゆかりの先輩にお会いしたり、80年代という特殊な熱の中で、映画が不安定にゆれていたあの時期の気分が、懐かしい顔ぶれから思い出されてくる。

冒頭の、巨大なセットを縦横にキャメラが動き回る、凶悪なまでの長回しのプロローグの若々しさ。斉藤由貴のアクロバティックな、一歩間違えれば大事故につながりかねないバイクのシーン。ペダンチスムは影を潜めているものの、意外にも斉藤由貴の立ち居振る舞いの不安定さに、原作に通じる少女の苛立ち、ゆらぎ、得体の知れなさを感じる。

そして、顔のよくわからない、養父とその友人。はじめからおわりまで幽鬼のように、画面の暗がりで顔を伏せている男たちは、ヒロインの圧倒的なエネルギーのまえに、調伏されて、スクリーンから消えていってしまう。

銀座シネパトス

『史上最大のヒモ 濡れた砂丘』

県警対組織暴力

大傑作。笠原脚本は今日の社会状況をも見通している。地のやくざ(松方弘樹)に心酔し、彼と通じる警官(菅原文太)は、地域の保安のためにやくざを使うことも必要という。それに対し県警からの若い部長(梅宮辰夫)は、善悪の二元論で治安は維持されるものだと説く。

戦中派の、清濁併せ飲むリアリズムと、戦後派のプラグマティズムの対立。

主人公がわの登場人物が、誰一人、敵を討つことなく、ただひたすらのたれ死ぬ。社会という敵の大きさの前に、無力な男たちの無念が響く。

どちらが正しいかったのか?答えは今、明らかになっている。

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