『犬身』(松浦理英子)

犬身

犬身

女子高生が変身したい芸能人の、男性部門の1位はタモリだという。
「いっぱい芸能人に会えるから」というのがもっとも理解しやすい意見で、回答者の多数はそうだろうが、タモリの、男性的な匂いの希薄さに、少なからぬ女子高生が安心のようなものを感じるという側面もあるのではないか。と、男根主義への強烈な異議申し立てを続ける松浦理英子の新作『犬身』について書き出す切り口として、強引に話題を導入してみる。さすがに強引かな?しかし「芸能人に会えるから」という理由で、黒柳徹子に「なりたい」と考える男子高校生がいるだろうか。そもそも男性に「女性に変身したい」という願望はあるのだろうか。

『犬身』は、理想的な犬の飼い主(女性)に出会い、その飼い主の犬になりたいと願った主人公の女性が、実際に飼い犬になってしまったその顛末が描かれている。
主人公を犬に変身させるのは男性の悪魔?で、悪魔は主人公に「犬的ふれあいの快感と、性欲」の相違を執拗に問いただし、主人公はそれを愚問と受け流す。

「犬的快楽」はどうやら、スキンシップの他に、嗅覚のフェティシズムの延長にあるらしく、冒頭に、匂いたつような主人公の行為が描かれるのだけれども、それが「犬への変身願望」になると、実のところよくわからない。同感できない、というか感情移入できない。そういう願望が女性一般のものとはさすがに思わないけれど、このわからなさは、男性が女性に感じる「わからなさ」一般と同根な気がする。回りくどく書いているが要は「女性の性欲は、よくわからない」。

悪魔と主人公の問答も、「わかりたい」男性と「わかられたいとは思わないが、誤解されるのもごめんだ」という女性とのあいだの、すこしは「わかりあってみてもいいか」という自嘲気味な言葉の交換に思える。しかも、悪魔が主人公を雄犬に変身させたうえで、去勢させるという2重の倒置を施すものだから、「わからない」話はますますややこしく、答えを見いだせない。

ただ、「わからない」を共有したこの一組のカップルには、ずっと始まらない、故に擦り切れない新鮮な「親密さ」が満ちていて、悲惨な性的暴力にさらされている飼い主の生活と、皮肉な対照をなしている。あたかも、陰惨な事件を扱いながらも、愉快な探偵コンビの活躍に心惹かれるユーモラスなミステリのように。

中盤以降、物語はこの探偵コンビ?の目を通して、実兄に性的暴力を受け続ける飼い主の境遇が、解決されるべく事件として描かれる(故に通俗的色合を帯びる)のだが、これを彩る、作者不詳のブログを挟んだ、書き手と読み手の吐き気をもよおすディスコミュニケーションの暴力性が、『裏ヴァージョン』にも見られた松浦節といえる読みどころとなっている。

最後には事件は一応の解決を迎えるのだが、けれども主人公と悪魔の「わからない」は最後まで「わからない」ままで、これが長編でありながらも短編集の1編のような、続きをもっと読みたくなる読後感を残す。

あまねく「わからない」男女の、埋まらぬ性差と多様な性の探求のために、犬に転生を繰り返し飼い主をとっかえひっかえ、変態性欲者の元をさまよい続ける主人公の一大冒険譚。これはその長い道程の、はじまりなのかもしれない。