『私の男』(桜庭一樹)

私の男

私の男

どこまで、深い穴を覗かされるのか。

絡まり合う蔦のように分かち難く結びついてしまった養父と養女が、世間の眼から逃れるように密やかに、アパートの一室で営む息苦しく淫らな生活。そこから抜け出そうとする娘・花の語りで始まる物語は、時間を遡り、語り手を変えながら、ふたり結びつける暗い根元へと迫ってゆく。

そこでの著者の手つきは、原石を、研磨に研磨を重ね、はかない輝きを磨きだす宝石職人に似ている。恋愛の狂おしさ、人生の倦怠、性欲の業、家族の絆、罪の意識ー私たちが理解し得るそんなありふれた背景を次々にそぎ落しながら、たったふたりだけの血の繋がりに、自分の生命の全てを託さなければならなかった男と女がいるその地点が、わたしたちの共感など遥かに及ばぬ、絶望的に隔たった距離にあることだけを描き出す。

わたしたち読者の、あらゆる共感も、ましてや自己投射や安い憐憫も、この小説の前では一切拒絶されるだろう。わたしたちは、自分や他人の中にある、絶対理解不可能な暗い穴の存在を突きつけられ、そもそも、他者に共感したり憐れんだりすることなど不可能なのではないかと、言われぬ不安に襲われる。

わたしたちの間には、オホーツクの冷たい海のような、絶対的な距離があるのだ。数少ない、特権的な人たちだけが、世間に背を向け、孤独の暗い根を曝け出しあって、自分たちだけの幸福を貪るのだろう。

作中、男と女を見守る老人の、絶望的な距離からの呼びかけが、彼の、無力な優しさが、とても悲しい。それがわたしたち読者の、もどかしさに通じるからだ。物語を通して、その隔たりに耐え続ける悲しみだけが、わたしたちに許されるただひとつの共感のすべなのではないか、そんなことを思った。