『奇偶』(山口雅也)

ミステリとは、不安のドライブである。

なんの根拠もないが、そんなフレーズが思い浮かんだ。
始まりは『夜にそびえる不安の塔』で
http://d.hatena.ne.jp/beach_harapeko/20070225/p1
それを読んだ直後は、少しばかりの居心地の悪さを感じただけだったが、直後に読んだ『奇偶』(山口雅也)が、視野の中に纏わりつく影=ノイズから心身に変調をきたし、奇妙で偏執的な妄想体系を作り上げていく過程そのものがミステリであるという趣向で、なんともいたたまれない。
ドグラ・マグラ』『虚無への供物』とならぶ奇書、という触れ込みだが、感触としては『ペニス』(津原泰水)に近いと思った。神経症を触媒に、井の頭公園を奇妙な犯罪者が跳梁跋扈する異空間に歪めてしまうという内容だったと記憶している。

そして『叫(さけび)』。コピーに曰く『黒沢清初の本格ミステリー』。

どこが『本格ミステリー』なのだ、怪談じゃないかという声が妥当なところだろう。しかし、ミステリーが、不安を抱いた人間が解決を求めて彷徨うその道程であると見なせば、これもまた文句なくミステリーだ。むしろ、不安という見えない概念のとりあつかいの手際は、現代のミステリーのある傾向の映像化に非常に親和性が高いのではないかと思った。

具体的に言う。数年前公開された『ハサミ男』(池田敏春)で、決定的に出来ていなかったことが、『叫(さけび)』ではすべてクリアされている。

黒沢清による殊能将之の映画化を夢想する。


奇偶(上) (講談社文庫)

奇偶(上) (講談社文庫)

奇偶(下) (講談社文庫)

奇偶(下) (講談社文庫)

ペニス

ペニス

ハサミ男 (講談社文庫)

ハサミ男 (講談社文庫)