『叫(さけび)』(黒沢清)

ブーンという空調かなにかの唸り。どこからか響いてくるコツコツいう音。古くなった蛍光灯が明滅するするときに発するノイズ。

『叫(さけび)』で通奏低音の如く間断なく画面を覆うこうしたノイズは、不安をかき立てるSEとして、Jホラー以降おなじみの手法であるとは言える*1

ところで、そうしたノイズは実際のところ、私たちの身の回りにいつだって存在している。よほどの山奥にでも住んでいない限り、生活音はあまりに常時鳴り響いているため、普通、却ってそれらに気をとられることはない。

それらが気になる状態。それはやや心身が危険な状態に踏み込む兆候といえる。鉄筋集合住宅が特に危ないのだが、夜中にふと、壁や床を響いて伝ってくる低く響くノイズや、足音のような何かをコツコツする音が気にかかる。
神経が高ぶり、目が冴える。気にすまい、という思い込みがもういけない。耳は益々鋭敏になり、わずかな音にすら反応する。イライラがつのり、どこの奴がこんな音を出すのだと被害妄想がますます自分を苦しめる。

これらは実際かつて、自分が体験したことだ。ある夜、わずかに聞こえる人の話し声のようなものの出所を探ろうと、家中の壁や天井に耳をくっつけて回った自分の姿に、ふと我に返り戦慄を覚えた。いまだから言えるが、あの姿を客観的に見れば、『叫(さけび)』で人に見えぬはずの幽霊を鏡に見て脅える、役所広司の姿にそっくりだったのではないか。

鉄筋で上下左右密閉された、黴臭い棺桶のような部屋の中で、どこからともなく響いてくるノイズに、あるいは見知らぬ他人の無粋な無神経を、あるいは人ならぬものの明確な悪意を妄想し、不安に追い込まれる人々。彼らを生み出すのは鉄筋コンクリートの団地という生活装置であり、それに象徴される、都市での生活そのものである。

黒沢清がだから、(ほとんど)廃墟と化した鉄筋の建築物の中であのノイズを響かせるとき、それはJホラーのお約束を超えた、ある切実さをもってくる。全て新しいものへ、快適なものへと猛スピードで刷新されていく都市の陰で、糊塗される人間の不安が廃墟へと姿を変え、そこから放たれる微かなノイズが少しずつ新しい都市に共鳴していく。

その共鳴は、例えば天井に連なる電気の傘が奇妙な揺れ方をしていることに気付いてしまうような、そんな心理状態の人間を易々と犯し、彼らの不安はまた黒い黴のように繁殖し、新しい都市の真っ白な壁にシミを作っていくのだろう*2

*1:実際のところは分からないが、この映画をJホラー輸出の立役者・一瀬隆重が手がける『黒沢清海外売り出し映画』だと見なすと、なるほど一方ではJホラーマナーにのっとった約束事(幽霊の演出等)が容易に指摘され、他方、露骨な過去作からの引用が、あたかも海外向・黒沢清名場面カタログのようでもある(北野武の『BROTHER』を想起した)

*2:実際に、映画に出てくるようなものすごく古い単身者公団住宅に住んでいたことがある。東京のどまんなかでありながら、そこは見捨てられた人々の吹きだまりのような場所で、要は身寄りのない老人が居住者の大半を占めていたのだ(刺青を背負った老人も何人か見かけた)。住んでいたのは95年前後で、徒歩1分の場所に例のオウム真理教の総本部があり、なんだか都市の辺境の廃墟から、怨念が都市を滅ぼすというこの映画のような物語でもでっち上げられそうなそんな舞台だった。自分の心身の変調も、この団地を舞台にしていれば話は奇麗につながるのだが、生憎?この時は神経が太くてむしろ友人を連れ込んだり深夜まで騒いでノイズの元になっていたくらいだった。その後、新築のマンション移った際におかしくなったのだから、新旧にかかわらず、集合住宅の根本的にかかえる禍々しさにあてられたのか、そのときの行いの報いだったのか。さて、その当時から廃墟然としていた団地は、今は取り壊され奇麗なマンションに立て替えられている。写真の1枚も残しておけばよかった