『夜にそびえる不安の塔』(井形慶子)

ああやばい。超常現象に対する距離感はとりにくい。

オカルトやら超常現象やら、そういうものがこの世にあるのかと問われれば、それは、あるのだろうなあと答える私である。とはいえ、自分がそのような現象を直接操ったり、見えないものが見えたりすることはないだろうというなあという感触がある。どこかにそういう能力に長けた人がいて、今日もどこかでバリバリ予言したり透視したりしているんだろう。それが統べからく、なにがしかのトリックがあるなどとは言いがたいじゃないですの。自分には決して体験できないであろう現象、さればこそ、ものすごくその現象に興味があるんである。

さて、この本。占い師の世界への侵入取材!渾身のノンフィクション!そしてそそるタイトルと表紙イラスト!

ああ、そこにはどんな世界が待ち受けているのだろう!人の弱みにつけ込むインチキ占い師が跋扈し、ブローカーが跳梁する闇の占界の実態をあばくう!そして最後に出現する、真の能力を持った超常者の素顔とわ!!!

・・・という内容ではありませんでした。

主人公はとある出版社を経営する女性社長。自ら著作をも手がける彼女の元に、旧知の編集者より取材の依頼が来る。曰く『霊感のむちゃくちゃ強い占い師を三人見つけたので、身分を隠してお客として接触し、潜入レポートしてください』。そして唐突なその依頼を残し、編集者は失踪してしまう。
若干の興味と大いなる当惑を抱えて女社長は、とりあえず三人の占い師に“電話相談”をすることにする。

当初の女社長の超常現象に対するスタンスは、ほぼ私の立場のような、頭ごなしに否定するでなく、しかるに全面的に信ずるほど常識はずれではない、という思い込み。しかし最初の電話で、その前提がいきなり崩れてしまう。

当たるのだ。驚くほどに。しかも三人とも、同じように。

これは偶然なのか。更なる電話で真偽を突き止めようという気持ちは、次々と突きつけられる予知の前に、すぐに霧散する。

このあたりから、冒頭私が書いた『やばい』感じが漂ってくる。依存、である。オカルトを肯定しない、でも否定もしないという、一見柔軟なスタンスは実は、インテリのアタシは、頭が固くないの、オーガニックなすべてを許容できるのよという虚栄の裏返し。そんな人こそ、不安に弱い。不安の前には、ワタシだけが知っているという、ワタシだけが助かるという安心感にどっぷりと嵌ってしがみつく。

実際この女史、社長業をなさっていながらも、会社の目的を『ワタシの著書を好きに書くこと』とおっしゃる御仁(三田紀房『マネーの拳』だったら怒られてしまいそうですね)。自分にお優しい仲間に囲まれて会社が小さいうちはよかったものの、企業規模拡大につれてゆるみ始める組織のタガ。もともと経営理念あるわけなく、仲良しこよしでやってきた経営陣に組織運営出来るはずなく、日々の不満鬱積は社員を小人化し、遅刻するなゴミを捨てるなと上司が愚痴る職場はあたかも学級崩壊の態。

そんな組織崩壊と足並み揃えて、占い師への依存は度を深めていく。曰く、あの何を言っても分からない男は、何を考えているの?あの口ばっかりの男の、本当の狙いは何?

【それはね、あの人はコドモなの。目立ちたいだけなの。あの人は自分の子供にいい格好をしたいだけなのよ・・・】

ああそうだったんだ!安心したわ!そうして翌日、彼の男は社長室でお説教・・・

まあ俺ならこんな人の下で働きたくないね、と、さんざんなキャラクターを曝す(ドキュメンタリーということなので)女史なのですが、ふと思うにこの本、あえてそんなキャラクターを見せることにより、占いに嵌る人間の内部を提示しえているのではないか。むしろ、占いに傾倒することにより、猜疑心や依存心が加速度的にいや増して、消えることのない不安が膨らみ続ける・・・

終盤ノンフィクションの枠を超えて幻想の不安の塔が聳える描写に至り、実はこれは巧妙に仕組まれたミステリ仕掛けの物語なのではとすら思えてきて、一気に読んでしまった。私もいつまた、不安を直視しきれずに、超常という解決策にすがりつかないとも限らない。それは麻薬のように蠱惑的で、破壊的に心身を蝕むことだろう。

ところで最後、この女史は、少女マンガ的天賦の才(カマトトキャラ)をもってして、不安の楔から解き放たれる。えーっと思われる方もいるかもだが、そうなんだから仕方ない。男女雇用機会均等法世代の才女はずるいよねえ、などとチクリとやりつつこの項を終える。


夜にそびえる不安の塔

夜にそびえる不安の塔


マネーの拳 1 (ビッグコミックス)

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