『宇宙戦争』の補助線としての『フォーガットン』

【以下『フォーガットン』のネタバレ含みます】

事件を追う母と男の前に、次第に真相が浮かび上がってくる。何か『人間でないもの』の関与が台詞で仄めかされるが、他にも冒頭からの執拗な【真上からの俯瞰ショット(低飛行空撮)】や、見上げる空に浮かぶ【円盤状の雲】などで観客は(半数は嫌な予感を抱え、半数は期待に胸を躍らせながら)朧げながら黒幕の招待に気付き始める。
決定的なのは、警察に追われる二人が廃屋に書き残したメッセージ(『子どもたちは何者かに拉致されています』云々)を読んだ女警部の台詞。

『なぜ誘拐(be kidnapped)でなく拉致(be abducted)なの?』

どちらも英和辞典を引くと『誘拐・拉致』としか出ていないが、googleでイメージ検索をするとこんなのばっか出てくる

例えば日本人が『拉致』と聞けば、今誰しもがあの国を思い起こすのと同様、“abduct”には一般動詞の意味以外に、宇宙人による拉致行為というイメージが、おそらく彼の国では刷り込まれており、この映画を見た米国在住の人であれば『ああ、宇宙人モノなのね』とこの台詞で思い当たるのだろう。

実際この映画には『ああ、宇宙人モノ』と観客に思わしめる“安心感”が漂っている。秘密結社の人間が数人しか出てこないとか、宇宙人(役者)が一人しか出てこないとか、予算的な制約もあろうがなにより、『宇宙人ネタ』として了解された範囲を物語が逸脱していかない。優れた科学力を持った宇宙人が、なんでこそこそ牛を誘拐しないといけないの?などと視聴者の突っ込みを織り込みながら、娯楽としてソコソコの刺激を提供するテレビシリーズ(X-fileなど)のようなヌルさ(『ER』のグリーン先生が出てたりして、またテレビっぽさが強調されている)。

だからこそ、一転信じられない強度の描写がそのヌルさを吹き飛ばす瞬間に度肝を抜かれる、そこにこの映画が馬鹿映画として名を残す価値があると信じるのだが、これが『宇宙人モノ』としてのヌルさを立脚点として、その反動を意図的に演出に加えた結果だとすれば、その戦略はなかなか鋭いのではないか。

例えば未見ではあるが『亡国のイージス』、予告編で、亡国対日工作員に扮した中井貴一が言う台詞、『これが戦争だ、日本人』。

この映画の制作者は、『拉致』という言葉で代表される『北朝鮮の脅威』なるものが、実は大半の日本人にとってはワイドショー的な『ネタ』であることを見誤り、実際に脅威であると本気で信じてる人を過大に見込む、あるいはその脅威を本気で喚起できるなどという思い違いをしていないか、私などはあの台詞からそんな危惧を持ってしまう。*1

ともあれ『フォーガットン』は明白な『宇宙人モノ』であるに関わらず、その宣伝上、一切そこは伏せられたままであったということは、もはや『宇宙人』という題材は映画にとって、むしろ失笑と共に受け入れられる存在であり、奴らは人に隠れてこそこそと牛を誘拐したり、町に紛れ込んでよからぬ実験を繰り返す程度のことしかできない、ましてや数え切れぬUFOで大空から大挙飛来し、地球に総攻撃を仕掛けるなど笑止千万なのである。*2

そんな時代に『宇宙戦争』だ。一体そこではどんな『宇宙人の脅威』が描かれているのだろう。楽しみで仕方がない。

*1:にもかかわらず漠然と日本人にある『脅威』を、架空の地下鉄を舞台に『都市伝説』化=『ネタ』化した『真下正義』の戦略性を見よ

*2:『インディペンデンス・デイ』が、セルDVDの『一枚買うともう一枚』のオマケとしてよくパッケージされているというその軽さ!