片岡球子展(神奈川県立近代美術館 葉山)

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もちろん絵を生業にしているわけでもなく、さりとて観賞用に絵を購入するような高尚な趣味も財力も持ち合わせない一般人だ。絵を見るのが好きです、現代美術に興味がありますと言ったところで、有名な海外作家の展覧会に行ったり、気兼ねのない小さな画廊を覗くのが関の山で、いきおい知識のあるのはコマーシャリズムに乗りやすい、イラストや写真などの作品を手がけているような人や、『美術手帳』のような心酔する評論家が取り上げる現代作家、あるいは音楽などジャンルをクロスオーバーするポップな人、ばかりというミーハーなファンに過ぎない。
であるから、『日展』だの『院展』だのは得体の知れない世界だし、なによりデパートの一角などで、入り口には大きな壷に巨大な生け花、スーツの女性が受付に立ち、身なりのいい爺さん婆さんが談笑しながら見ているような『画壇』の世界などというものは、俺とは一生縁はないと思っていたし、実際俺のような『現代美術ファン』って多いんじゃないかしらん。
とはいえ、『日本画』という手法ならびにその表現には興味があったりする。それは前に書いた邦楽に対する興味と同様、無責任でピント外れだったりもするのだが、『もしそこに面白いモノがあったら』という好奇心は責められまい。
というわけで、近所でやってる美術展だ、友人に勧められたということもあり、また『老婆が観光バス仕立てて大勢詰めかけている』という噂を聞きつけ、堪らず行ってきました。

片岡球子展-100歳を記念して』。100歳だよ。100歳にしてなお創作意欲の衰えないスーパー老女にして、現代日本画壇の巨星。なんだかその煽りだけでも凄いんだが、絵を見るともっと凄い。第一印象を(無責任のそしりを覚悟で)言えば『下手』。なんかパース変だし。人物の遠近関係狂ってるし。顔、線画だし。指の関節に渦巻き描いてあるし。
もちろんテクニカルな問題ではなく、要はそういう手法を飄々と、図太く選び取って、「私の思うところの人の顔」とでもいうべき表情を、延々と描き続けるその持続力の凄さがまず一点(不細工に描かれたモデルー小学校教諭時代の生徒達ーや当時の画壇はいやだったろうな。何度も院展に落選し続けても、画風がかわらなかったみたいだし)。その一方で、色彩と模様ばかりが無邪気に増殖し、着せ替え人形のごとく対象を着飾らせてゆく、中期の稚気の爆発(富士山にまで着物を着せている 笑)が第二点。
そして今展の目玉である『面構えシリーズ』では、歴史上の人物、主に浮世絵や歌舞伎の戯作者の似顔絵に、それぞれの作品を引用して並べた“マイベスト・コラージュ”の、物語を勝手に再構築する無邪気さに感嘆する。雪舟と水墨画を並べたシリーズなんて、勝手に水墨画を極彩色に染め上げてるし!自分色に染まれ愛しい歴史上の人物たち!
田辺聖子が古典と戯れるような、老女のやおい趣味。もっと露悪的に言えば、AKIRAのサイバー研究所に囚われていた老人少女の部屋や、つげ義春『ゲンセンカン主人』で駄菓子をほうばり玩具遊びに興じる婆さんたちの集うネヴァーランド。日本画壇の奥の院に、まさかそんなモノが隠されていたなんて!
本当のところ、これはお土産コーナーに殺到し、一筆箋やスカーフ(2万円くらいする)を買ってるお婆さんに独占させておいてはいけないと思った。俺のような『現代美術ファン』にも、この“人が老いて美術を極めて行くプロセス”を“描きたいものを描きたいように描く”というところにおいた脱力の極意には、ぶっ飛ばされる事請け合い(空気投げで)。

『現代日本画の巨星 片岡球子展-100歳を記念して』
神奈川県立近代美術館 葉山にて、26日まで
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2005/tamako050311/