NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE

id:matterhornさんの映画評が面白い。お笑いにも造詣の深い氏の「見る=見られる」
存在としての「キャラクター観」に基づいた独自の切り口の鋭さにいつも感服しているのだが、

今度公開された『忍者ハットリくん』という映画も、まだ観ていないが既に今から切り口を考えている。ポイントは「屋根」である。「屋根=地上10メートルの地平」というものを失った都市の風景を、忍者であるハットリくんはいかにあぶり出すのか、がこの映画の最大のテーマである。おそらく。
http://d.hatena.ne.jp/matterhorn/20040830

と、この映画に対しても興味深い切り口を示している、しかも! 自身は

しかしそんなたった一つの更新ネタをもっともらしく装うためだけに、こんな映画に1500円も払うのはあまりにもったいない

との真っ当な判断の元、この映画の確認を(言外に)他者に委ねるのである、否、これは読者(俺)への挑発ではないのか?
かくして、妄想たくましくした私は、氏の言葉に誘導されるがままに、『NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE』を観て、検証作業にあたるのであった(というか、子供を連れて見に行ったので、そういうことでも考えないとやってらんない、という側面もあったり 笑)

黒田硫黄の短編に、少女が電車の車窓から「私だけに見える忍者」を幻視する場面がある。驚異的な身体能力を持つ「忍者」が、時にビルを飛び越し、川を飛び越え、電線を伝いながらどこまでも電車と併走する。そんな誰しもが抱いた妄想を「天狗」という呼び名で具現化したのが、傑作『大日本天狗党絵詞』であり(先の短編の少女は『天狗党』の主人公のありえたかもしれない別の姿、と解説される)、この作品にはそれこそ「屋根=地上10メートルの地平」の魅惑的なイメージが溢れかえっている。初めて術を覚えた少女が駆け上がる電柱の上、少女と弟が別れを告げる信号機、仲間を集うために舞を舞うビルの屋上。そのいずれもが、地べたを這う人間には届かない世界、という、憧れと恐れの対象として示される。実際「屋根=地上10メートルの地平」とは、人間が自力でたどり着けるギリギリの高度であり、その「視線がちょっとだけ異化される」リアリティに、あるものはその景観に惹かれ、高所恐怖症のものはその高度に恐怖を抱くのである。
■などと唐突に別の漫画の話をしたのは他でもない、『NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE』では、この魅惑的な「屋根=地上10メートルの地平」が描写されないのである。いやしかし、ハットリくんは屋根も飛び移るし、東京タワーの天辺から飛び降りるじゃあないか!?その疑問に答えるために、少々詳細に場面を検討してみよう。

id:matterhornさんからの宿題もあり、今回、少々意識的に画面を見ていてすぐに気づくのは、ハットリくんを捉えるカメラが、ほぼ常に地面に置かれている、ということだ。これは主人公のケン一くん=主人に、付き従うハットリくん、という設定が要求する構図(ケン一くん目線)といえなくはないが、せっかくハットリくんが屋根を飛び越え電柱に登ってみせるのに、カメラはなんとなく仰角気味に屋根を追うだけだ。試みに、この映画における【俯瞰ショット】を列挙してみると

1)冒頭、銀座4丁目交差点を、三愛ビルのネオン上(見下ろすハットリくん後ろ姿なめ)
2)学校の屋上、ケムマキと対峙
3)自宅二階から公園を見下ろす田中麗奈見た目
4)ラスト近く、古寺の屋根に立つハットリくん
5)アクションシーン

とこんな感じ。1)は置いておいて、2)3)は状況説明のための俯瞰の性質が強く、そもそも「屋上」「二階」は登る場所としてはありきたりである。4)はむしろ、大勢に見られていることを説明するためのショットだろう。歌舞伎の見得のような決めショット。5)はアクションのメリハリであるから、特に「高さ」を強調するカットとはいえない。

つまり「魅力的な視線の異化」を意識して撮られた俯瞰ショットは1)だけといえるのだが、この前後をもう少し詳細に書くと、
●上京してきたハットリくんが、ビルからビルに飛び移る【ヘリによる空撮にCG合成】⇒●ビルの上から見下ろすハットリくん【1)のカット】⇒●交差点をスパイダーマンのようにブランコ【実景にCG】⇒●東京タワーの天辺に立ち、ダイブ【ケン一くんの部屋までワンカット合成】
以上、すべて「夜の闇に紛れて」ハットリくんが暗躍する冒頭の見せ場、なのだが、あまりにもハットリくんの高度が高すぎ、すべて俯瞰ならぬ「鳥瞰」になってしまっているので、CG合成の非現実感ばかりが際立ってしまうのだ。

■大空を鳥のように舞うハットリくん、そして地表に近い、子供の視線でコミカルに振舞うハットリくん。この映画には、その中間にある高さが存在しない。ハットリくんは、地上からジャンプしてフレームアウトした次のカットでは、もう大空を飛んでいるのである。

■繰り返すが、id:matterhornさんは【「屋根=地上10メートルの地平」というものを失った都市の風景】という言葉で、この映画における欠如を予見した(慧眼!!!)。それをここで言い換えるなら、日本映画に蔓延する【実写カット】から【CGカット】へ到る断絶の存在、と言えはしないだろうか。撮影所機能という、もはや時代遅れの非効率的な存在と、VFXに代表されるポストプロダクション機能との意識のズレや相互の無理解。【実写カット】が視線の異化に無頓着になり、【CGカット】が現実感に寄与しない。極端なイメージとイメージがつぎはぎになった、不連続なイメージの集まり(その最も悲惨な具体例を、あなたは『デビルマン』で目にすることになる)。

■だが幸いなことに、私達には『下妻物語』でその幸福な出会いも目撃している。最高にアナログで、ケレン味たっぷりの【クレーンショット】が、茨城の女子高生をみるみる大空に、中世ヨーロッパに飛翔させていたではないか!周囲に、その出会いを祝福するような、キャベツやジャガイモをCGで浮遊させながら。

■何も【クレーンショット】が目新しい、というつもりはない。しかし【実写カット】と【CGカット】が融合する場所として、「屋根=地上10メートルの地平」という、人間の想像力がリアリティを持つギリギリの地点が、もっと注目されるべきなのではないか。その素材として、【忍者】ハットリくんは最も適していたのではないか。

■更に補足しておくと、近年の日本映画で最も【クレーンショット】を多用し、ほんの少し異化された視線を日本の原風景に注ぎ、その美しさを引き出しつづけたキャメラマン篠田昇氏が、その突然の死の直前まで準備をしていたのが、他ならぬ『NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE』であると知ったとき、彼がどのように異化された視線をもって【幸福な出会い】を演出しようとしていたのかと思うと、その喪失が惜しまれてならないのである。