三橋達也

ところで三橋達也は、この映画が遺作となった。

CASSHERNでは、主人公を助けた医師である三橋が語る
『この国には、キャシャーンという救世主が語り継がれていて』
云々という台詞にある『キャシャーン』という言葉を、まるで普通の言葉を口にするように、こともなげに発音したその台詞回しでにぶったまげたものだ。

もちろんベテランとなった昨今は、演技派、重鎮として語られているようだが、若い頃はどう評価されていたんだろうか。
というのも、川島雄三作品や、当時の風俗映画と称される作品で見る三橋達也の役柄は、重みのない一般のサラリーマンだったり、チンピラだったり、つねにひょうひょうとした佇まいで、いつも同じような人物としてそこにいるのだった。

戦後の日本映画においては、すくなくともリアルタイムな、一般的な評価でいえば、黒澤明映画に出てくるような、『重厚で感情をあらわにした』役者こそ、名優と評価されてきていたのではないかと思う。

id:matterhornさんが、『怒ると涙目になる役者の系譜』というのを提唱されているがhttp://d.hatena.ne.jp/matterhorn/20040328、黒澤作品における仲代達矢、そしてもちろん、三船敏郎も、この系譜の祖として名を連ねることができるだろう)

三橋達也の演技は、まるでこの系譜にあてはまらない。
一見いつも同じ表情でいながら、額に垂らす一筋の髪、振り向きながらふと口に持っていく指先、相手に対して使い分ける目つき、などといった、体の末端に微細な演技をつねに宿らせることで、多彩な感情を演じ分けていた。おそらく、ケーリー・グラントとか、海外の映画俳優を相当意識していたのではなかろうか。それが彼の『都会的』という評価につながったのだから。

そう思ってみて観ると、『Dolls』の、三橋演じるヤクザが襲われて、返り討ちにするエレベーターシーンって、ヒッチコックみたいじゃないかなと思ったり(ずうっと困った顔をしている)。

※ちなみに、id:matterhornさんを真似して、この系譜を現在に探ってみると、筆頭は山崎努ということになるだろうな。『困ると口をモゴモゴさせる役者の系譜』とかどうだろう。

※脱線ついでに。黒澤映画の『感情的な芝居』を、蓮実重彦と一緒に批判していたのが伊丹十三。その奥方である宮本信子が昼間NHKの番組で『海外の女優さんの演技を随分参考にしました』と言っていた。山崎努も伊丹組。