『すでに老いた彼女のすべてについては語らぬために』

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こないだ本屋で立ち読みした『映画芸術』、荒井晴彦やらスガ秀実やらが座談会で、現代日本映画の歴史観の欠如について強く批判しつつ、スガの『革命的な、あまりに革命的な』や「68年」問題を引き合いに出しつつの、我田引水というか牽強付会というか、まあ団塊臭漂う説教が撒き散らされていたので早々に頁を繰ったところ、今度は阪本順治(『この世の外へ クラブ進駐軍』)と深作健太(『バトルロワイアルII 鎮魂歌』)が対談をしていて、なんだ反米だったらおじさんがたのメガネにかなうのかねとドッチラケつつも、阪本が『アメリカという国を意識したわけでない、これは将校とバンドマンの個人的な友情』とシレっと編集意図をかわしたのに対し、あくまで熱い青年でありつづけた健太君は微笑ましかったのだがそれはともかく、今年のキネ旬ベスト10の『反娯楽』ぶりからも、こういった団塊的政治的映画批評というのが興行の実態とは乖離したままも力を増しつつあるわけで、その意図に沿うように『大逆事件の周辺のテキストを使った天皇(制)についての映画』を撮ってしまう青山真治って、勉強熱心で先生に誉められるんだけど、実は誉められることが目的の優等生みたい。
天皇制だの歴史だの、ポスト万博世代にはどうあがいたって『勉強の対象』でしかないわけで、その歴史が自分と繋がっていないことに自力で耐えて現在に目を向けるのが今を生きるクリエーターの仕事だろう。お勉強の成果の『歴史』を作品に導入して、最後の戦後の生き証人たる団塊世代の批評家に目配せするのはいかがなものだろうか。

同様のことは阿部和重にも感じんでもない