Hands of Steel

さっきテレビを見ていたら、片足が義足の少年が出てきて、グラウンドを走っている画面の右下の丸の中には涙目の芸能人、という場面がでてきたので、ああ今年も24時間テレビかあと思ったら来週だったのだがそれはともかく、その少年のコーチ役に、反対の足が義足の青年が出てきて、軽やかにトラックを疾走する姿の下に出たテロップが『日本記録保持者』とあって狼狽えた。
ちゃんと見ていなかったので正確なことは言えないが、多分それは『(義足使用者としての)日本記録』ということなんだろうけど(日本障害者スポーツ協会ではスポーツ用に開発された義足を装着して競技を行う、と紹介されているhttp://www.jsad.or.jp/)、しかし今後、医学と技術の進歩により、健脚な人間より高速で走行が可能な義足というものが発明されて、それをもって日本新記録が打ち立てられた場合、その記録は果して、『()』のないものとして認定されるのだろうか。
というのも、今回の全国高校野球選手権において、美談としてとりあげられていた今治西の義足の選手のことが気になっていて、もちろん人並みはずれた汗と涙と努力の物語だし、素直に感動できないのは自分のなかの怠惰と無感動と逃避の精神のなせる技なのだけど、そんな曲がった心根から浮かんできたのは、
じゃあ人並み外れた能力を発揮する機具の身体への装着は、少なくとも高校野球においてはアリなんだな
という考えで、テレビで熱戦を繰り広げる球児たちを眺めながらも、時速200キロを超える速球を放つ鉄腕や、足の裏からナイフが飛び出すリアル殺人スライディング義足とか、そうか、加速装置を装備すれば、誰でもイチローになれるなあなどと惚けた妄想を繰り広げているから野球なぞ見ていない。
もっとも汗と涙と努力の物語でスポーツ面を埋める新聞記者のうち何人が野球を見ていて、24時間テレビのスタッフのうち何人が障害者のことを憂いているのかは神のみぞ知る。ましてやそれらを貪る消費者どもをや。