『何をやっても 癒されない』

さて、春日武彦の『何をやっても 癒されない』ISBN4-04-883823-7に、幻臭を患った患者さんの悩みについて書かれた部分がある。ここでの患者さんの悩みは、他人の匂いが気になるということではなく、

自分が何か嫌な匂いを発しているのではないか(客観的には臭わなくても)

ということなのだけれど、自他の区別なく“臭い”に関する違和感というものが、見事に説明されているので引用する。

それはたんに錯覚であるとか幻覚であるとかいった話ではなく、見えざる臭いの粒子によって他人と自分とが関係性を持ってしまったことに対する不安のように思われた。すなわち、臭いの持つ直接性や生々しさを介して、自己の不全感とか自信のなさがクローズアップされているようなのである。

その人が固執する“臭い”が、時にその人の人間関係(あるいは人間観)を映し出すという指摘が面白い。そういえば男女関係においても、恋愛初期には互いの体臭など気にならず、ときには腋臭・口臭・足の臭いに到るまで甘美な芳香と思われたのに、時を経、婚姻の契りを交わし、やがて生活を共にする中で、互いの体臭に我慢ができなくなったなどという例などは、人間関係の変化と感じる“臭い”がシンクロした好例といえそう。

では、私にとってマヨネーズ臭とは何なのだろうか。街角で、唐突に私の鼻腔を襲う刺激臭は、単なる快・不快を超えた不安な感情を私のなかに呼び起こし、それが脳裏に形作られる前に一瞬で消え失せてしまう。

だがいつか、あのプルーストのマドレーヌのように、私の秘められた記憶を鮮やかに喚起するような、そんな強烈なマヨネーズ臭に出会う時が来るのかもしれない。

(と、偉そうに書いたが、もちろん『失われた時を求めて』なんて読んでません、すみません)